5周年

ちょうど5年前の今日、POEMS症候群と診断されました。
当時のことを思いだし、つらつら書いてみたいと思います。

POEMS症候群という病名自体は、診断される少し前に聞かされていました。
2012年の12月ごろから体調がどんどん悪くなり、入院して検査を行うも病名がなかなかわからないという状態が続いていました。
検査により様々な病気の可能性の指摘・否定が繰り返される中で、POEMS症候群の可能性があるも特徴的な神経症状が少なくて決め手に欠けるといった話があったのが2月の中旬でした。
耳慣れない病名を告げて担当医師が病室を出るなりネットで調べましたが、要約すると「これはヤバイやつだ」ということばかり、あまり歓迎できる情報はありませんでした。

それからひと月くらいの間は、POEMS症候群も視野に入れながらの検査を継続していましたが、やはり断定できないということでしたので、POEMS症候群かどうか白黒つけるためにも千葉大病院で診てもらおうとセッティングされたのが3/21の診察でした。

この時点で、ほかの病気の可能性がほとんど否定されていて、POEMS症候群でなければ振り出しに戻るうえ治療のしようもない状況でしたが、正直なところ、この病気じゃないといいなと思いながらの受診でした。
結果は残念でしたが(笑)
なお、往生際悪く、その日の検査結果が出そろう翌週に再度確定診断を聞きに行きましたが、当然ながら変わらずでした(あまり意味のない行為でしたね)。

大きな病気、難しい病気などがわかった場合、それを受け入れるには一定の期間が必要で、その後治療に向けて少しずつ前向きになっていく、といったことは知識としては知っていましたが、いざ自分の身になると、本当に受け入れられるか、そもそも治療して治っていくものなのか心配でした。
千葉大病院から帰る途中、おいしいと評判の(実際おいしいです)ラーメン屋に入りましたが、その日は全くおいしさを感じることができず、少しおかしなアプローチで不安や病気の受け入れ難さを実感しながら入院先に戻りました。

ただ、担当の先生に結果を報告した際に言われた「ようやく(治療の)スタートラインに立てましたね」という言葉には、とても助けられました。それまで色々考えて、逆に思考が止まっていたのだと思いますが、その言葉が妙にストンと落ちてきて、肩の力を抜いて一歩進められる気になる、そんな言葉でした。

そうはいっても、病気を受け入れ、治療に向けて進むということは単純にはいかない面もあったと思います。
ですが、先の言葉で考えがポジティブな方向でまとめられるようになったと思います。

今思い返すと本当にポジティブだったか怪しくお勧めもできませんが、自分なりに次のように考えながら、今後の治療に備えるようにしていました。

・少ないなりにも情報を広く集め、現実・事実を知るとともに悲観的・楽観的なシナリオを考える。
特に、悲観的なシナリオ、最悪のケースを基準にして考えるようにしていました。
当然うれしい内容ではないですが、これ以下はないだろうということで。
どれくらいの期間で、どういう経過で悪くなっていくか、自分の不安を煽るわけでなく、悪い方向に行った場合の正しい情報を知っておきたいなと。
そのうち、自分が死ぬ前には誰に挨拶しておこう、この先生にはお礼を言っておきたいな、そのときうちの妻はどういう反応するかななどなど考え始めて、しまいには夢の中で、自分の入る棺桶を選んでいました。
朝、起きてから苦笑しましたが、夢の中では色々な棺桶に入って楽しく選んでいる自分がいて、逆にもう大丈夫かなとも感じました(笑)
(ちなみに、棺桶に入る体験サービス、実際にあるみたいですね。いずれ試してみたいなと)

また、ちょうど桜のシーズンで、病院の敷地にもきれいな桜が咲いていましたので、妻といっしょに見に行ったのを覚えています。
桜を見ることは結構好きですが、「最悪のケース」のままでは、あと何回桜を見られるかもわからない、という気持ちにもなります。なので、そのときにきれいな桜を見ることができたことを大事にするとともに、来年見られるように頑張ろうと、近い将来を目標にすればいいかもしれない、とそのように感じました。

それまで何の病気かもわからなかったことから、ようやく診断がついたこと、かなり落ち込んだけれど、もう一度前を向いて進み始められたこと。5年前の3月21日から何日間かの出来事でしたが、忘れがたい経験でもあります。
千葉大での治験に参加することに決め、その後、現在までの結果は、当初考えた楽観的シナリオよりも良い方向で進んでいますが、その話は次回にも書いてみたいと思います。

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