POEMS症候群 サイクル8-①
サイクル8(1サイクル28日)
2013.12.5 木曜日
入院中からおなかが出てきたなぁと思って気にしてたんだけど、昨年からこの春まで腹水がおなかにたまってた時のおなかの出方に似てきたような・・・と思い始めて、PCのフォルダをがさごそ引っ張り出す。
見比べてみたんだけど、何となく似てるような似てないような。
腹水がたまると胃が圧迫されるのか、食欲はまったくなくて。
食べるのもしんどそうだったんだけど。
今はそれがないからただ単に太っただけなのかなぁ?と思いたい。
腹水の時は元気もなかったし、やたらうえうえってげっぷみたいなかんじになってたような気もするし。
だんだん時間が経過したせいか忘れはじめてて、本人が「違うと思うよ」といってるのでそれを信じよう。
一応へそまわりを測定。
しばらく測定して変化を見てみよう。
午後少しめまいが起こり横になる。
だいたい1日の睡眠時間は8時間くらいなのだけど、もう少し多いほうがいいんだろうか?
こちらも引き続き様子見。
午前 体温36.2 血圧115-82 脈57
午後 体温36.3 血圧124-73 脈60
2013.12.6 金曜日
実に悲しいお知らせです。
太ったせいでスーツを買う必要が出てきた。
入間のアウトレットへお出かけ。
前回の退院後はどちらかというとおっかなびっくり生活をしてた。
軽めの外出程度だったけど、今回は復職も前回より早いのでできるだけ動くようにしようと思う。
長時間動けばどの程度疲れが出るかがわかるのと、その対策を早めに考えられると思って。
仕事に復帰してからだと調整しつつって難しいと思うし。
私の性格は土壇場にとても弱くあわあわしてしまうタイプなので、あらかじめいくつか想定しておけば対処できるから。
この日はアウトレット内をかなり動き回る。
必要な買い物をして閉店までいた。(苦笑)
途中休憩を入れて休みつつとは言え、退院後ここまで動いたのは多分初めてだと思うから明日どう疲労が出てくるか。
額のニキビが減ってきたので薬が効いてるのかな?
午前 体温36.4 血圧133-75 脈62
午後 体温36.7 血圧136-78 脈66
2013.12.7 土曜日
そろそろ起床時間調整に入ろうと思ってまずは8時半に起きてみた。
前日の疲れはものすごく出てるというほどではなかったので、午前中は比較的のんびり家で過ごした。
午前中は家の掃除を手伝ってもらいながら少し動き、午後は近所の本屋さんやスーパーの買い物に付き合ってもらった。
夜は外で外食。
肉を食べてうはうはしてました。
前日の疲れがそれほど出てこなかったのが少し安心材料。
再来週の復職までにあとは起床・就寝時間を戻していければいいなぁ。
午前 体温36.2 血圧128-79 脈60
2013.12.8 日曜日
朝から千葉県香取市というところまでお出かけ。
友人がマラソン大会に出ると言うので、入院前に「退院間に合ってたら応援にきてよ!」と言ってくれてたので応援しにいきました。
が!
友人ゴールしてたあとに現地に到着という、なんともまぬけな私たち。(苦笑)
この日は7時に起きたのだけど、どうしても眠気が抜けなくて7時半まで寝てた。
その後準備は比較的スムーズに行ったんだけど、思いのほか遠かった、現地。
その後友人の友人さんたちとご一緒にランチなどして夕方現地をあとに。
この日は自宅にふぐが届くから、マラソンの友人を急きょ強引に自宅に連れて行きふぐと肉を食べてくれーとばかりに押しつけた。(苦笑)
今日も1日動いたのと午後からは運転を夫がしたので疲労のたまり具合がどう出るか?
香取で右だけじゃなくて左にも発疹のようなものが出てるので、ひどくなるようなら明日治験コーディネイターに写真を送ろうかと話してたんだけど、夫が調べたところニキビの薬でもらったディフェリンゲルの副作用の1つだと判明。
(夫の症状はリンク先の「なぜ副作用が出るか?症状を理解しましょう」のところにある画像のような状態になりつつあった)
午前 体温36.2 血圧125-73 脈64
午後 体温36.6 血圧132-64 脈66
2013.12.9 月曜日
朝起きたら左足が少しむくんでた。
午前中は家でゆっくり静養。
夫は午後から1人で外出。
退院してから初めての1人外出だった。
この日は錦糸町までITパスポートの試験を受けに出かけた。
夫的には「受かって当たり前」な仕事についてる以上、合格しないわけがないんですけども。
帰宅後浮かない顔をした夫に聞いてみたところ、「2,3問間違えたかも」らしい。
2,3問程度で済んだならいいじゃないか。(苦笑)
あと「自分がどの分野が苦手なのか確認できたからよかった」とのこと。
1人で無事外出し帰ってこれたのはよかった。
実は玄関出る時まで「具合が悪くなりそうな時は無理しないでね。無理して立たないでね!」と言い続けたのだけど、外出先で倒れたことが大きく響いてるから。
倒れた時は私がそばにいた分、パニックになりながらも「救急車読んで!」って叫び続けたのと救急車が来てから、病院とか担当医とか主治医とかそういうことは全部救急隊員に伝えられたので多少ましだったとは思う。
今は医療情報を載せたドッグタグを身につけさせてるからよっぽどのことがない限り、救急隊員も見落としはないだろうと思う。
倒れないに越したことはないけど、突然来るからね。
以前その外出先で倒れた時に当時の主治医に言われたことが「無理して立たない」ってことだったのです。
まぁしゃがむってことが前提の話だったんですけどね。
その時具合悪くなって一度しゃがんで、本人すでにその時意識がなかったそうなんだけど、無理して立ち上がって歩こうとした途端気を失って倒れちゃったので。
だから「無理して立たないでね!」って言うようになっちゃったのかな~。
ITパスポートを受けたら初音ミクのファイルをもらって帰ってきた。
友人がほしがってたのであげる予定。
夫はいいことをした気分のようだ。(笑)
午前 体温36.2 血圧119-74 脈61
午後 体温36.6 血圧148-75 脈70
2013.12.10 火曜日
本日は7時半起き。
明日からは7時に、明後日は6時半の予定。
明々後日から6時にして、復職までそれを維持する。
あくまでも予定。
なぜなら実際には7時半に目覚ましがなっても起き上がるまでに10分~20分くらいかかるから。
それを見越して最終的には5時半起きになるのかなぁ?と漠然と考えてる。
そこから逆算して寝る時間は10時とかになるのかなぁ。
リハビリというわけではないのだけど、握力測定器を買った。
病気になってから毎月測定してるけど、それほど大きく握力が落ちてるということはない。
病気になる前も握力はそれほどなかったそうだけど、そこから大きく落ちてはいないんじゃないかな?と本人が言ってた。
右35 左34と出たので、診察室より少し落ちてるなぁ。
ま、誤差の範囲でしょうが。(苦笑)
午後から美術館に行き動きまわった。
そろそろ通勤の満員電車にたえられるくらいの体力は戻ってきただろうか?
夜あごの関節が痛くなってきたらしい。
前回の入院時もそんなことがあって、バンテリンを買ってきたことがあったな。
夫はバンテリン教の信者なので、またバンテリンを塗って明日からは少し流動食になる予定。
(かむととても痛いらしいので)
午前 体温36.1 血圧128-77 脈65
初めて。
たまたま昼休みに亡き父親の病気についてなんとなく検索していてこちらにたどり着きました。
ご主人、クロウ深瀬症候群?なのですね。
うちの亡き父親もそうでした。
ご主人まだまだお若い?とお察しします。
色々不安もあるかもしれませんが、どうぞご主人を支えてあげてください。
父親が症状を自覚して、受診したのがおそらく今から30年前後くらい前。足のしびれから始まり、胸のあたりの色素沈着等々。
そこから、4、5年くらい経過してようやくクロウ深瀬症候群と言うのがわかりました。地元の大学病院→数年たって、地元の総合病院。そのような経過をたどり、たまたま総合病院に弘前大医学部の先生がいらしていて発見してもらったと聞いています。
父は、プレドニンと言うお薬を飲んでいたのを記憶しています。
晩年脳梗塞になったため、それもあり旅立ちました。
各個人において症状は色々あるかもしれませんが、体の機能を維持するため、毎日の散歩は欠かすことなくやっていました。
30年まえ入院当初は痩せて、歩くのもフラフラで医師からは歩くことをストップされ安静にと言われてましたが、父の意志でリハビリスタート。
それが、項を奏したようです。
まだまだ知られていない病気ですし、詳しいドクターも少ないのが現実ですが、どうぞ諦めず前を向いて!!
応援しています。
長々と失礼いたします。
初めまして、コメントありがとうございます。m(_ _)m
今から30年近く前での発症、当時は今よりももっと知名度が低かったと思われるので、医者の中でもこのクロウ・深瀬症候群について知ってる方は少なかったのではないか?と推察します。
確かにその時代ですと治療はプレドニンだと思います。
私たちは夫が告知を受けてからずいぶんこの病気について調べたり、国会図書館に出向き医療雑誌などを読んで調べましたが、プレドニン治療が主流だった1980年代あたりにこの病気を発症してたら病名がわからないままだった人も多いのではないかと思ったことがあります。
夫もクロウフカセの疑いが出てきたのは具合が悪くなってから2カ月半くらい経った頃なのですが、当時の担当医と主治医はこの病気には当たったことがないと言ってまして、病名を確定する判断材料としての神経症状が出てなかったのもあり病名がなかなか確定できなかったんです。
専門に治療をしてる大学病院に検査に行きそこで病名が確定したのが発症から4か月くらい経った頃でした。
現在その病院に転院しクロウフカセの治験に参加してる段階です。
その後のお父様のリハビリ、私たちもとても心強く思いました。
教えて頂きありがとうございます。
この病気は40歳くらいから発症が多いと聞いたのですが、夫は36で発症したので年齢はあまり関係ないのかな?と最近は思うようになりました。
まだまだこの病気は解明されてない病気で、明確な治療法は確立されてないのが現状ですが、私たちは諦めずに頑張っていきたいと思います。
コメント、本当にありがとうございました。m(_ _)m
早速のお返事ありがとうございます。
その後、なんだか気になって、合間に少しずつですが、過去のブログにもお邪魔させてもらいました。
ご主人も、ブログの主さまである奥様もすごく頑張っていらっしゃいますね。
亡き父親の件お話しましたが、父親から見ると私を含め子どもが三人います。
ちょうどご主人、わたしたちと前後するお年みたいです。
それを知って尚更応援したい気持ちです。
色々病気について勉強されたようですね。そうなんですよね、資料、情報があまりにも少なすぎますよね。
ちょうどわたしが小学生のころに父は異変を感じて病院を受診し始め、ピーク時は中学生のころでした。
転びやすく、入院中は車椅子に乗っていたのですが、知り合いとあって会釈するとバランスを保てなくて車椅子から落ちたことがあると聞いてます。
検査や治療として、鼠径部から管を入れての検査?、くるぶし付近を少し切開して中のものを採取しての検査、血小板交換方等々。
小学生から中学生におけるころの話なため、記憶がはっきりしなかったり、子どもにわかる範囲での説明なため詳しく情報をお伝え出来ずにすみません。
その後わたしが成人するころは、理解もできるようになって、病気について話したりもしたんですけどね。
CTやMRI等々は、年に一度は最低検査してたと思います。
本当に症例が少ないこと、でも父親のようにような状態までに回復傾向が見られたのもあまり例がなかったようで、担当医が論文?なのか、医学系の発表なのか?父親の症例を出させてほしいとの話があったとも父親から聞いてます。
もしかしたら、たくさん勉強していらっしゃるのでどちらかで目にしているかもしれませんね。
主治医はその病気の専門ではなかったようですが、神経内科系統を担当されていて総合病院で診察にあたっておられます。見つけてくださったのは、また別の病院の先生ではありますが、その先生が年に何度か父親が、通っていた病院にいらっしゃる際にはかならず診察に来てくださいと言われていました。
リハビリは、スタートするにあたり各個人の症状との兼ね合いもあるかもしれません。ただ、安静にと言われていながら、父の意志でスタートして良い状態を維持していたのも事実です。
最初は身の回りの出来る範囲のあたりから、そのうち、本格的に病院での理学療法のリハビリもスタート。
特別なプログラムがあったわけでもなく、握力の回復、身体の機能の維持または向上、階段の登り降りだったり、足やからだの筋力の回復等々。
そして病院以外の日は、毎日の散歩。
病気がピークのときは、通常大人が歩いて五分くらいのところを、四倍くらいはかかっていたと思います。
でも欠かさずやっていました。
浮腫などもすごかったのですが、こまめな水分補給をしつつ、リハビリや散歩で汗をかくというパターンが良かったのか?頻繁ではありましたが、上手につきあっていたように思います。
何かまとまりのない内容ですみません。少しでも情報の足しになれば幸いです。
わわ、ご丁寧に本当にありがとうございます。m(_ _)m
私たちは古くても15年くらい前までのものにしか目を通さなかったので、貴重なお話を伺えてありがたいです。
この病気も時代によって治療方法が変化してきてるので、現在は自己末梢血幹細胞移植かサリドマイドの投薬かという状態だったのですが、7月からサリドマイドと移植をあわせた治験が新しくスタートしまして、こう、ちょこちょこといろんな治療方法が出てくるようなかんじ?という状態です。
もしかすると10年後にはまた新しい治療方法になってるかもしれないので、本当に未知の病気という気がします。
お父様は車椅子からバランスを崩して転倒してしまったことがあると書いてありまして、おそらく神経症状がかなり進行してたんだろうなぁと思いました。
私が知り合った患者さん(実際病院で出会った方や直接お会いしたことはないけどblogにコメントを残してくださった患者さん)はみなさん神経症状が出てるのですが、その中でもお父様の状態はかなり神経症状が進行した段階だったのだろうと思いました。
私が知り合った患者さんで1人、一番ひどいときにはナースコールのボタンも押せない状態だったという方がいました。
他の患者さんもリハビリが必要な状態だったり。
そのような中、お父様の容体が回復に向かわれたとのこと、本当によかったなと思います。
2000年代に発病した患者さんはやはりリハビリをして、今は車椅子を使わず生活ができるようになったり、杖をつきながらも自力歩行ができるようになったりしてるのを聞いてると、私たちも体力の低下や筋力低下の予防のためにも散歩程度とは言え歩くことをしていかねばならないなぁと考えておりました。
ですからその当時この病気に関する情報は今よりももっと少なく症例もさらに少なかった中でリハビリの効果が出てたというのは本当に本当に心強く思います。
おそらくお母様がすごく大変だったのではないか?
Hさん含めてお子様たちも当時は本当に大変だったのではないか?と思います。
わからないながらも親の病気というのは子供心に不安を抱くと自分も経験したことなので・・・。
本当に貴重な情報をこうして教えて頂き、本当にありがとうございます。m(_ _)m